夏休み、子どもが料理を始めた一週間のこと
—— 番外編 第一号 / 夏休み特別号
月曜日、宣言
夏休みが始まって、一週間が経った頃のことだった。
朝食のパンをかじっていた小三の娘が、ふいに、こう言った。
「今週、お昼ごはん、ぜんぶ自分で作る」
私は、麦茶のグラスを置いて、娘の顔を見た。娘は、まっすぐに私を見ていた。冗談でも、甘えでもない、ということは、すぐにわかった。
「火、つかうよ?」と聞いた。
「うん。お母さんが見ててくれたら、いい」
ホットクックがあるから、別に火を使わなくてもいいのだけれど、娘は「火」と言った。たぶん、火を使うこと自体が、目的だったのだと思う。
火曜日、失敗
二日目の昼、娘は炒飯を作ろうとした。
ご飯と卵と冷凍野菜を、フライパンに放り込んで、思いっきり混ぜた。混ぜすぎて、ご飯が崩れて、卵が分離して、フライパンの底に焦げが張り付いた。
「焦げた」と娘は言った。
「うん、焦げたね」と私は答えた。
「食べる?」
「食べよう」
二人で、焦げ気味の炒飯を、テーブルで食べた。娘は、無言で、3口食べて、それから「ちょっと、しょっぱい」とつぶやいた。
塩を、入れすぎたらしい。私は笑って、麦茶を注いだ。
水曜日、火傷未遂
三日目、目玉焼きを作っているときに、油がはねた。
「あつっ」と娘が叫んだ。私は飛んで行って、手を確認した。赤くなっていたけれど、火傷というほどではなかった。冷水で冷やして、絆創膏を貼った。
娘は、ちょっと泣きそうな顔をして、「もう、やめようかな」と言った。
私は、絆創膏を貼った娘の手を、しばらく握っていた。それから、ゆっくり、こう答えた。
「やめてもいいよ。でも、あと4日、続けてみない?」
娘は、しばらく考えて、それから、うなずいた。
木・金、リズム
四日目と五日目は、ホットクックを使うことを許した(娘が自分で「使ってもいい?」と聞いてきたから)。
おでんを作った。豚汁を作った。どちらも、材料を切って、入れて、ボタンを押すだけだった。出来上がりは、私が作るものより、ずっと美味しかった。
娘は、ボタンを押して、出来上がりを取り出すたびに、満足そうな顔をした。「私が作った」と、はっきり言った。
私は「うん、作ったね」と答えた。火を使っていなくても、ボタンを押したのも、材料を切ったのも、娘だ。それは、間違いなく、料理だった。
土曜日、照れ笑い
最終日、娘はナポリタンを作った。
ピーマンと玉ねぎを切って、ベーコンを炒めて、茹でたパスタを入れて、ケチャップを絡めた。少し焦げたけれど、火曜日の炒飯ほどではなかった。
味見した夫が、「これ、お店のより美味しい」と言った。お世辞も入っていたと思うけれど、半分くらいは本当だったと思う。
娘は、テーブルの下で、足をぶらぶらさせながら、ちょっと照れていた。
夫が「来週も作る?」と聞いた。娘は、首をかしげて、
「うーん。来週は、お母さんに任せる。私、別のことしたい」
と答えた。
私は、笑った。それでいい。それで、十分。一週間、火に向かって、自分の手で何かを作った、という経験が、これから先、どこかで娘の助けになる気がしている。
番外編として、書いた理由
本編の連載エッセイは、私(30代主婦)の視点で、台所と暮らしの話を書いている。
けれど、台所には、私以外の人もいる。夫がいて、子どもがいる。それぞれが、それぞれの台所との関係を持っている。
その「自分以外の人と台所」の話は、本編に組み込むと、語り手の視点がブレてしまう。だから番外編という箱を作って、こちらに置いておくことにした。
季節の特別号として、年に2〜3本くらいのペースで書いていく予定です。次は、たぶん、年末。